B29を見て驚く リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 15, 2016 <4-98-4> 撃墜されたB29が公会堂の前庭にさらされていると市報で知り見に行って驚いた プロペラの エンジンの ベアリングの大きさ それが二段一組で四カ所のプロペラ これは圧倒された 浅はかな考へだった 敵いっこないと思った リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
こんな戦争になるとは 11月 24, 2015 <4-98-2> 日清 日露 一次大戦は万歳 万歳で兵士を送り出し 万歳 万歳で迎えて終った 戦争とはこんなものと二次大戦開始を思っていたら 敵機が頭上を飛び交い 戦々恐々 夜もおちおち眠れない サイレンに怯え 爆撃におののき 夕方皆で食卓をかこんで無事を確める 朝は勤めに学校に行くのを どうぞ無事に帰ってと 一日一日の命を預って生きた こんな筈ではなかったのにと思った時はもうおそい 《巷の凡人雑感》 もちろん 日清戦争は明治27年-明治28年、日露戦争は明治37年-明治38年で 亡母が直接経験したわけではありません。 でも両親からは何度も話を聞いてたようです。 第一次世界大戦への日本の参戦が大正3年、そして終戦が大正7年。 この頃には10歳を過ぎています。 その後結婚し、長女(私の姉)を出産した昭和12年頃には支那事変から太平洋戦争へとまっしぐらです。 最初の頃はまだまだ 万歳!万歳!万々歳!だったのでしょうね。 でも・・・ やがて・・・ 続きを読む
月日の経つのは早いもの 8月 25, 2014 <1b-33-2> 「歯のないお母さんに食べさせるんだから硬い沢庵丁戴」 と云って店頭で「この親不孝者」 と叱られたのはついこの間の様な だって 硬くないと卸金にかからないので仕方がない 馬鈴薯も卸して団子に丸めてすまし汁に浮ばせると又変わった料理になるし 蓮根も牛蒡もこうして他家にはないものを食べさせました そしてお金がもったいないと云う母に 三日しきゃ食べなかったとしても噛んで食べるように勧めて 義歯をいれさせたのは昨日の事の様です 七十六才で死んだ母の年にもう手がとどく程に私も老いた 月日の経つのは早いもの 《雑感》 これは昭和54年春の頃書いたものだと思います。 まだ71歳だったのに・・・ この当時は病気で体力が衰え、体も少し不自由になり始めていました。 ユーモアを交えて書いているものの、少し弱気になっている様子。 私も歳をとって同じような気持ちに向かっているような気がします😞 続きを読む
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