父ちゃんは箪笥も長持も皆呑んで死んだ

<4-29-1> 父ちゃんは箪笥も長持も皆呑んで死んだの 子供達は父親の顔もおぼえていない と云ったら そんなにお酒が好きだったのかときかれる 呑むのは酒ばかりぢゃあるまいし 薬だって呑むものよ 終いには鯉の生血をふるえふるえ絞って呑ませたのだった 命を助けたいばかりに 爆撃された八幡の街をバケツさげて鯉を求めて歩いて行けば 電車線路は目茶目茶 自動車も 馬車は馬もろとも焼け死んでいて 小伊藤山 (*1) まで来ると小伊藤山を掘り抜いた防空壕から死体が次々運び出されていて凄惨な光景 思い出しても背すじの寒くなるような中を歩いて行ったのだった (*1)小伊藤山の防空壕では昭和20年8月8日の八幡大空襲の際、 中で多くの犠牲者が出た所です。 《凡人の雑感》 父ちゃん(私の父)は製鉄所に勤めていましたが、病気で休むと亡母は八幡の本事務所に呼び出されたそうです。 そこには軍刀を持った憲兵が机に脚をのせて座り、その足の間から顔を出して--- 出勤させる様に云われたそうです。 病気だからと云っても聞き入れてくれなかったそうです。 結局、無理がたたったのでしょう。 終戦の翌年の昭和21年に、肺の病気で亡くなっています。 私が3才になる少し前、姉は8才でした。 この本事務所での体験はずっと腹に据えかねていて その後何度も腹立たしそうに話していました。 「大の男の兵隊が、女相手に軍刀もって脅すような・・・威張り散らして・・・」 兵隊さんが軍刀を杖の様に持って椅子に座るのは、記念撮影のためだけではなかったのです。 こうして相手を威圧する道具としても使っていたようです。 でも、 相手が女でも? …この態度は… もっとも私の現役時代でも、仕事がうまくいかないとき 「死ぬ気で頑張れば不可能はない」 みたいなことを言う上司もいましたからね。 時代も変わり、プレッシャーを受け止めないようにする術を知ってましたので、ほぼ無事に勤め上げました。 でも、もし上司が軍刀を持っていれば・・・即座にひれ伏し従っていたでしょうね。 「 こんな時代に戻りませんように 」