戦時中、伝令を仰せつかったが

<4-20-2>

戦時中の婦人の生活 という放送があった

あの頃 私は伝令を仰せつかり 赤ん坊だったK子を背に走りまわっていた
伝令は毒ガスの落ちた道もあるだろうと防毒面が支給されたが 背中の乳児は無防備のまま
たまりかねて乳児用を請求したら乳児用は無いという

産めよ殖やせよはかけ声だけかと くやしかったな 

《凡人の雑感》

この話、よほど悔しかったとみえて二度目です。
(2014年11月15日投稿の「子供の誕生と戦争の進行」にも出ています)
防毒面は結局は防火演習用だったみたいで、
 その後の実際の空襲が始まると無用の長物だったとか。
バケツリレーなどの防火演習も絨毯爆撃の下では役立ちそうもありません。
戦時中は戦争に勝つためのスローガンが沢山あったようです。

戦後派の私も知ってるスローガンなどは
「欲しがりません勝つまでは」・・・勝つ保証があれば?
「ぜいたくは敵だ」・・・・・・我が家では今でもこの精神です
「進め一億火の玉だ」・・・・今の時代ではちょっとしんどいかな?
「月月火水木金金」・・・・私だって現役時代はこんな仕事ぶりが少しあったかも
「本土決戦」・・・・・・いやです!
「鬼畜米英」・・・・・せめて近隣諸国とは…
etc.

そうそう
近年の少子化問題で見つけたのは
「パパが産休、家族にサンキュウ」
「産めよ殖やせよ国のため」  みたいに指示・命令的ではないようです・・・ネッ!

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