子供の誕生と戦争の進行

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盧溝橋一発の銃声(*1)の頃はお腹も目立ちはじめ 十二月六日長女誕生

冬至には南京陥落(*2)と南瓜をべた

その頃から出征兵士を送り始め
十五年長男誕生 防空演習に狩り出され
十八年次男誕生 空襲に怯える

こんな時代でしたので楽譜のわかるのは珍らしく
アコーデオンを町内費で買うから 出征兵士を送るとき奏でる様にいはれたが 奏法を知らず固辞したら 今度は伝令を仰せ付かった

母親には防毒マスクが与えられたが 背中の子には何の防備もない
生めよ殖やせよはかけ声だけかと町内会長につめよった
(*1)盧溝橋事件:昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋で起きた
        日本軍と中国国民革命軍との衝突事件で日中戦争が始まる
(*2)南京陥落:昭和12年(1937年)12月



《凡人の雑感》

明治40年生まれの亡母は、音楽が好きで楽譜も読むことができました。
仕事を辞めてからは、中古のオルガンを買ってきたほどです。


戦時中の話では・・・こんな言葉もよく聞きました
建物疎開(我が家も強制疎開させられています)
空襲警報(屋根瓦を転がる焼夷弾の音が戦後もずっと耳に残ってたみたいです)
防空壕(まだ小さかった私が泣くのでヒンシュクをかってたようです)

戦争中は内地でも空襲に怯え、
終戦後は空腹に耐え
「戦争はいや」と云いたくなりますね。

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