妹の結婚と室戸台風の思い出

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「大坂天王寺 石の鳥居前」と大正の頃 子供の回虫駆除薬に「セシン(*1)の薬」を売り歩いている人があった

すると母が天王寺の池に経木を流した話や左甚五郎の猫が日光とここで猫の夫婦やと話してくれたり 話がはづむと 一心寺の話まで発展して 私は大坂人の子やと感じた

妹の縁談がまとまり結納の使が来幡した時 肝腎の結納が行方不明になった時は 天王寺の五重塔が台風で倒れた時だった

幸に結納を積んだ貨物列車は途中の駅に避難していて無事がわかり 日を改めて吉日をト(?)して済ませたが 天王寺の再建は妹の心の奥深く沁みていたらしい

その後の手紙で当家の名が何時の世にかに書かれていたとかで それが縁で生家の名と婚家の名を刻んだ瓦を寄進したと書き送ってきた
(*1):セシンと読めますが、該当するものが無くよくわかりません。



《巷の凡人の雑感》

亡母の妹(稀子)は室戸台風の年(昭和9年)秋に大阪の家に嫁入りしています。
室戸台風と妹の結婚が重なり、結納のことなどで思い出となっているようでした。
結婚写真にも手書きで「一次室戸台風 十一月三日」とメモしていました。

妹の結婚では、亡母が嫁入り道具などをそろえてやったとかで、特別な思いもあったと聞いています。

室戸台風は昭和9年9月21日
四天王寺では五重塔と仁王門が全壊したとの事

五重塔は昭和14年(1939年)ころに再建されるが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で国宝の東大門他伽藍とともに焼失。

現在の塔は1959年(昭和34年)建立の八代目。とのこと。
この話からみると6代目、7代目の瓦には当家の名が入ったものがあったのでしょうが
残念ながら今の五重の塔には残ってそうにまありません。

 四天王寺の「猫の門」の猫も左甚五郎の作だとか

 一心寺の話とは?
  わかりません。

 ただ、父が亡くなった時、戦後の混乱期の為に遺骨は一心寺に預けたと聞いていたので、母が亡くなった時に一心寺に行ったことはありますが…(わかりませんでした。)

ここに記している話は途中はしょっているためかよくわからない個所が多くあります
自分の頭の中ではしっかり記憶があるのでしょうが

いま読んでみると内容が今少しわかりません

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