父母の思い出
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大坂弁まるだしの父母
あれは南の大坂弁やから下品なと云はれても 皆同じに聞える私は九州育ち
お盆になると父が三味線持ち 母が盆踊りを踊り
母が三味線をひくと 父が踊り
福岡県くんだりまで来てしまった淋しさを 夫婦でまぎらわせていたみたい
あれは南の大坂弁やから下品なと云はれても 皆同じに聞える私は九州育ち
お盆になると父が三味線持ち 母が盆踊りを踊り
母が三味線をひくと 父が踊り
福岡県くんだりまで来てしまった淋しさを 夫婦でまぎらわせていたみたい
母は地唄で育ったので「たぬき」(*1)だの「ゆき」(*2)だの好きだった
「菜の葉」(*3)それから何だったっけ
「菜の葉」(*3)それから何だったっけ
(*1)(*2)(*3):いずれも地唄の代表曲のようです
《巷の凡人の雑感》
亡母は上方生まれの父母の影響で文楽や歌舞伎、そして地唄などが好きでした。
私が子供の頃には押入れに破れ三味線もあり、たまに出していましたが、皮を張り替えることなど出来るわけでもなく、いつの間にかどこか見かけなくなっていました。
明治34年頃に北九州の八幡に来た祖父母。
当時、大阪から見た八幡は猿や猪と一緒に暮らしている場所と思われていたようです。
もっとも、今でも住宅地に猿や猪が出て来る事は時々あるようですが…(^^ゞ
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