求菩提で即身成仏の行に入った人

<4-78-5> 昔の武士には切腹という刑執行の方法があったそうなが 介錯する後見がいたという 乃木将軍夫婦だけは おのおのひとりで死んだという 旅順開城の唄はよくお手玉繰りながら唄ったあの中に 死所を得たるを嬉べりの句がある けふ四日 求菩提山で即身成仏の「行」にはいった人がある 《巷の凡人の雑感》 歌は『水師営の会見』ですね。 歌詞の6番に 『二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり これぞ武門の面目』と 大将答力あり とあります 即身成仏の話は 求菩提山 龍王院の住職(大行満) 山田龍真が 昭和57年4月に求菩提山7合目 七日間即身成仏行(土中行)を行った時の事の様です。 これは悟りを開いて仏になることで 即身仏(ミイラ)とは異なるそうです。 当時、私も「即身成仏=ミイラ」になろうとしていたと勘違いしていました。 亡母も同じ心配をしていたのではないでしょうか? そんなことから乃木希典殉死(切腹)や 水師営の会見の歌の『死所を得たる…』が出て来たと思います。 大正時代のお手玉の唄は『水師営の会見』だったのですね。 私の子供の頃は別の唄でしたが、まだ戦争中の唄(みたいなもの)であそんでいたようです。 写真は1965年頃下関の乃木神社で撮ったものです