求菩提で即身成仏の行に入った人

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昔の武士には切腹という刑執行の方法があったそうなが 介錯する後見がいたという
乃木将軍夫婦だけは おのおのひとりで死んだという
旅順開城の唄はよくお手玉繰りながら唄ったあの中に
 死所を得たるを嬉べりの句がある

けふ四日 求菩提山で即身成仏の「行」にはいった人がある


《巷の凡人の雑感》

歌は『水師営の会見』ですね。

歌詞の6番に
『二人の我が子それぞれに
  死所を得たるを喜べり
これぞ武門の面目』と
大将答力あり

とあります

即身成仏の話は
求菩提山 龍王院の住職(大行満) 山田龍真が
昭和57年4月に求菩提山7合目 七日間即身成仏行(土中行)を行った時の事の様です。

これは悟りを開いて仏になることで
即身仏(ミイラ)とは異なるそうです。

当時、私も「即身成仏=ミイラ」になろうとしていたと勘違いしていました。
亡母も同じ心配をしていたのではないでしょうか?

そんなことから乃木希典殉死(切腹)や
水師営の会見の歌の『死所を得たる…』が出て来たと思います。

大正時代のお手玉の唄は『水師営の会見』だったのですね。
私の子供の頃は別の唄でしたが、まだ戦争中の唄(みたいなもの)であそんでいたようです。


写真は1965年頃下関の乃木神社で撮ったものです

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