久邇宮良子女王来幡時のうわさ話が賑やかに

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同じく天皇日常(*1)を読んで

久邇宮良子女王(*2)として最後の墓参に佐賀や鹿児島へ御旅行の途次 八幡にもお立寄りになった

処女会員として八幡駅のホームに並んだが折よく私のまん前は菊の御紋の良子女王の御席
老人席は筵を敷いた後側に坐らされたので列車は高すぎるし 少し前に一雨さっときたので雨をよける傘もなく哀れなお出迎えだった

さて八幡製鉄にもお立寄り本事務所でご少憩の御定とのことで万一の用意に便所をしつらえていたらお使いのなったらしい
 と聞いた男が使用後の便所をのぞき見に行って守衛に見つかり警察に捕まった
とか
 又抽出し式になっていてモミガラが敷きつめられてあったとか
見てきたような話が流れた

又見に行った男の細君が妊娠中でショックで流産したとか

話は中々賑やかだった

(*1):天皇日常:「日本人よ!」(伊丹十三選集 第一巻)岩波文庫にあるようです。
(*2)Wikipediaでは以下の様に説明しています。
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。
名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。
久邇宮邦彦王の第一女子。母は12代薩摩藩主公爵島津忠義の七女俔子(ちかこ)。
祖父の朝彦親王は男子9人を儲けており、東久邇宮稔彦王は叔父の一人である。
また、五女・島津貴子の夫島津久永は母方の従弟に当たる。



《凡人の雑感》

話は少しわかりにくいですが、大正12年頃の話でしょう。
亡母はその生きた時代のためか、やはり皇室はあこがれ敬っていました。
香淳皇后の「錦芳集」もまだ本棚に残っています。
絵画は好きでしたが、昭和の時代に皇后陛下の画集ということで買ったものでしょう。

でもここで出て来る話題は
・・・ (-.-)

どーも、下ネタ好きな一般庶民が集まるとこんな話題になるのですかね。



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