八幡製鉄所の給料日

<4-6-2>

昔の八幡の製鉄の給料日の賑はいは市のたつ日のような
 がまの油売り
 灰汁(*1)の入った墨汁で蛇の絵を書いてお金の儲かる掛軸に売っている者
 いかさま五目並べ
 昆布を幾晩か地上に置いて湿らせて目方をだますもの
 不老長寿の薬と銘うって人参 玉葱 ジャガの千切を干して
  九大医学博士の推薦状をつけたもの
 こんな露店が並んでいた
(*1)灰汁:あく。①灰を水に浸して取った上水。
     炭酸・アルカリ等を含み、布帛の汚れを洗い、物を染めるのに用いる。
     -以下略-


《凡人の雑感》

製鐵所の給料は昭和54年頃までは給料は手渡しだったので
ここまでではないものの、門の前にはそれと分かる(?)女性が立っていました。
飲み屋に多くのツケを溜めている人は少し時間を遅らせて帰っていたようです。
でも現場勤務の職工の悲しさ
社員就業規則で「速やかな退勤」が義務付けられていて
一時間を超えて退勤すると守衛さんから大目玉をくらってました。
今ではどうか知りませんが
当時の会社の守衛さんは絶大なる権力を発揮していましたからね。
ある人の話では
「少しの権力を手にすると、その権力を振りかざしたくなるのは人間の本性」
だと云ってましたが、私はそうではないと思います。
ただただ職務に忠実だっただけだと思います。
私が北関東の他社工場に出はいりしていた時の守衛さんも、全く同じでした。
その工場から退勤する時は
「私は産業スパイでも泥棒でもありません」と
目で訴えながら門を通過していました。

あれれっ!
少し給料日の模様と離れてしまいましたね _(._.)_

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