昔は変人も多かった

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長靴はいつの頃から履いたのかな
昔 八幡に雨の日も晴れの日も長靴の好きな男がいた

維新の廃藩置県の時 兄は伯爵になったが 弟は部屋住み(*1)だったので平民に
ついにその子は八幡で工員生活

この男 家具に目をみはる様な品があり 育ちはおっとり型なので 蟻が甘いものに寄る様に 鎧や刀は次々に他人でに渡っていった

亡父も鉄砲をゆずり受け 猿や山犬の出没するその頃の帆柱山によく登っていた

亡父は職人気質の最後の人と云はれてエピソードの多い人だったが その頃は長靴さんや花ちゃんやその他の変人が多かった

「をんな」を語るの放送を見て

(*1)部屋住み:嫡男のまだ家督を相続しない間の身分。
       また、次男以下で分家・独立せず親や兄の家に在る者。曹司住。


《凡人の雑感》

亡父(私の祖父)は大坂でキセルの製造販売をしていたそうですが、製鐵所ができるときに八幡に来たと親戚から聞いています。
八幡でどんな仕事をしていたのかはわかりません。
残っている写真を見る限り、修繕工場(整備工場)で働いていたようにみえます。
偉い人もいるようですし、子供みたいな人(給仕?)も混ざっています。
どんな職場だったのでしょう。

また『亡父は職人気質でエピソードの多い人』
とありますが、聞いた記憶はありません。
少しでも聞いておけばと今になって思っています。

それにしても
何もない八幡の土地に各地から人が集まり、変人も多かったのでしょうか?
それとも、その時代は奇人変人が多かった?
良くわかりません???


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