若戸の渡しの清兵衛さん

<3b-16-2>

若戸大橋(*1)のまだ無い頃 中の島(*2)に清兵ヱ(*3)さんと云う漕手が居た

若戸渡船(*4)は市営なので 朝五時から夜十二時までの営業だったので
 十二時過ぎから朝の始発まで転馬(*5)で個人営業

深夜の帰宅の便利と人気があったらしいが いよいよ若戸大橋の工事が始まるというので中の島あった造舟工場が二島へ移転し
 清兵ヱさんも家族と共に居なくなると聞いので
 一度乗っておきたいと思い よちよち歩きの子の手を引いて乗りに行った

序に清兵節を聞かせてとたのんだが いい声だというのに恥かしがって歌ってもらえなかった

(*1)若戸大橋:洞海湾に架かる若松と戸畑を結ぶ吊り橋。
       昭和33年(1958年)着工-昭和37年(1962年)9月26日開通
(*2)中之島:洞海湾の湾口にあった小さな島で、
      今の若戸大橋の橋脚辺りにになるそうです。
      昭和14年(1939年)から始まった洞海湾改修工事で、
      船舶の運航に邪魔な中島は削られ無くなったとか。
(*3)清兵衛:東畑史の本「流水」の中の「提灯山笠」にも清兵衛さんの名前が
      出てていました。
(*4)若戸渡船:若松と戸畑を結ぶ渡船。現在も運行中です。
(*5)転馬:伝馬船のことだと思います



《凡人の雑感》

若戸大橋の工事は昭和33年に始まっているので関係ないですね。
洞海湾の改修工事が始まる前、昭和13年頃の話です。
(亡母の思い違いです。)

わざわざ歌までリクエストするとは…
好奇心旺盛なところは、さすがです。


下の圖は「大11測」となっている地図の一部です。
たしかに洞海湾の入口を塞ぐように『中島』があります。
もともとは『かば島』と言っていたようで、
「明33測」と書かれた地図には『かば島』と表示されていました。


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