夜の電報配達

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明治初年 電報の制度が実施(*1)された頃
 「電報、電報」と夜の表戸をはげしくたたく人声に 疑心もなく開くと やにわに屈強の男が五人 どかどかと玄関の疊に白刃を突き立てたので母の叔母はあまりのショックで失神
そのまま発狂して明治六年ごろ死んだそうな
罪な強盗

大坂のメリヤス火事の夜は通夜だったそうで 死骸を納棺するひまがなく
 長持に入れて一夜 家具共々安全な場所に運んでおいたら
 長持が行方不明になり 八方探したら
 蓋を開けたままうちすてられてあったそうな
火事場泥棒のあはてぶりを空想して 母はよく笑っていたっけ

近頃 夜間の電報配達がサラ金に利用されるので 廃止になるとかテレビで云っていた

(*1):明治2年 1869年 東京・横浜間で電報取り扱い開始
   (NTT東日本>電報の歴史より)


《凡人のメモ》

この話は以前の記事にもあります👉「明治の大坂の大火で…
明治6年頃の大阪の大火の記録を見付けることはできませんでした。

『メリヤス火事』というのは明治42年(1909年)7月31日発生とのこと。
一方、この話は明治6年ごろの話。

【追記】(2020年4月)
最近調べたところ
「『明治大正大阪市史』 第一巻 概説編 第十章(保健及災異)」の〔七、大火〕に
「…維新後の大火といえば慶應四年・明治六年(京橋通)…」
と出てくるので、この火事の事だと思われます。
「明治大正大阪市史」第一巻
(国立国会図書館ウエブサイトより)

ということで、この時の火事はメリヤス火事ではなさそうです。
明治6年の火災の話とメリヤス火事の話が混同しているのかもしれません。

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