内祝・自祝・祝 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 10月 08, 2014 <2a-55-4> 七、五、三 十九(成人式)は内祝 女三十三 男四十二 自祝 六十一才から先は 祝 基準は親が祝ってやるのが内祝 自分で祝うのが自祝 子が祝ってやるのが祝 《凡人雑感》 内祝いは「内輪の親しいものばかりでする祝」と一般にはいわれているようです。 また自祝いは内祝いに含まれるとも出ていましたが… リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
B29を見て驚く 1月 15, 2016 <4-98-4> 撃墜されたB29が公会堂の前庭にさらされていると市報で知り見に行って驚いた プロペラの エンジンの ベアリングの大きさ それが二段一組で四カ所のプロペラ これは圧倒された 浅はかな考へだった 敵いっこないと思った 続きを読む
こんな戦争になるとは 11月 24, 2015 <4-98-2> 日清 日露 一次大戦は万歳 万歳で兵士を送り出し 万歳 万歳で迎えて終った 戦争とはこんなものと二次大戦開始を思っていたら 敵機が頭上を飛び交い 戦々恐々 夜もおちおち眠れない サイレンに怯え 爆撃におののき 夕方皆で食卓をかこんで無事を確める 朝は勤めに学校に行くのを どうぞ無事に帰ってと 一日一日の命を預って生きた こんな筈ではなかったのにと思った時はもうおそい 《巷の凡人雑感》 もちろん 日清戦争は明治27年-明治28年、日露戦争は明治37年-明治38年で 亡母が直接経験したわけではありません。 でも両親からは何度も話を聞いてたようです。 第一次世界大戦への日本の参戦が大正3年、そして終戦が大正7年。 この頃には10歳を過ぎています。 その後結婚し、長女(私の姉)を出産した昭和12年頃には支那事変から太平洋戦争へとまっしぐらです。 最初の頃はまだまだ 万歳!万歳!万々歳!だったのでしょうね。 でも・・・ やがて・・・ 続きを読む
真田増丸先生のこと 9月 11, 2014 <2a-44-4> 大津屋の二階に間借して裁縫して 佛教大学 (*1)を卒業させて下さったお母さんの元に 意気揚々と帰ってきた増丸先生に お母さんは卒業証書を引き割いて 「大学卒の真実の尊敬を受けるのは この後の働きによるのです」 とさとされたという 私の知った頃は 済世軍というのを興され たった一枚の墨染めの衣にドタ靴 かすれ声で布教していらした 先生臨終の時は トラックの運転手が済世軍本部の前後一丁に筵(ムシロ)を敷きつめ 枕元に響かないようにしたとかきいた あの頃のトラックの運転手は 蛇かなんぞのように怖れられたもの よくもああまで布教されたものとおもう (*1) 卒業は佛教大学ではなく東京帝国大学という 《メモ》 真田増丸(さなだ ますまる)明治10年~大正15年 大正4年大日本仏教済世軍を設立。 北九州の八幡に本部を置き労働者層への布教活動をおこなった方です。 続きを読む
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