昔の火事跡では
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昔といっても百年程前迄は 火事があったら焼跡から日本釘(*1)や鎹(*2)を探すのが一仕事だったらしい
今の様な洋釘が出来て 大工丈けでなく 日常生活も便利になったらしい
火事が出たら鍋だの何だの 金気の物は井戸に投げこんでいたらしい
(*1)日本釘:和釘(わくぎ)。鉄を槌でたたいて四角に作った釘今の様な洋釘が出来て 大工丈けでなく 日常生活も便利になったらしい
火事が出たら鍋だの何だの 金気の物は井戸に投げこんでいたらしい
(*2)鎹:かすがい。
《巷の凡人雑感》
八幡製鉄所東田1高炉の火入れが明治34年(1901年)
鉄製品はそれまでは輸入に頼っていたから貴重品だったのでしょうね。
もっとも、戦後も屑鉄は結構お金になって、日明の埋め立て地で屑鉄を集めていた人がいましたよね。
私も子供の頃ガキ大将(?)に連れられて皆で屑鉄を拾い集め、帰りにパン屋でラスクを買って皆で分けて食べた記憶がありま~す。
※ 安田工業(株)の釘物語の中の「釘の歴史」によれば、明治20年代にはすべて洋釘となっていたとの事です。
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