借家住まいの紀州藩士は

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大坂城の大手門前で袋物商を営む家に育った母は 幕末維新の時浪人した紀州藩士三人を借家に住はせていたらしい

その中の一人が今の道頓堀が刑場だったせいで 刑吏として仂いていたらしい
が 刑吏に珍らしい優しい人で 非番の日には日の当たる縁側で虱(しらみ)をとりながら
「コレコレ 次の世では人間にひねりつぶされる虱なんかに生れるんぢゃないよ」
と放してやっていたそうな

そのせいか刑をおえてきた者が お礼にやってくることがあったそうな


《巷の凡人の雑感》


大阪の地理は精しくはありませんが、道頓堀の近くの千日前あたりに刑場があったようですね。
そんな町の中に刑場があるとは…
 悪い事は出来ませんね。
  ま~、見せしめには効果があったでしょう。

この刑吏ではないですが
私も年を取った今では小さな虫でも殺すことはできなくなってきました。
といっても、
いまでも、ノミやシラミだったら、見付ければ問答無用で潰してしまうでしょう。

この刑吏
確かに優しい性格のようですが
シラミを逃がすような性格で刑吏が務まってたのでしょうか?
とてもとても斬首刑なんかはできないと思われます。
まだまだ鞭打ち刑があったようですから、そちらのほうで手加減していたのですかね。
以上、わたしの勝手な想像です


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