戦時中の敵国人

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支那料理屋を營んでいた人が二次大戦勃発のせいで支那へ送還されることになり
 せめて目前に近づいた出産の日まで猶予をたのんだが無情にも別れさせられたそうな
K子と同じ年なので忘れられない
中国残留孤児の記事を見るこの頃

T聖公会のミス.H牧師も生国英国へ送還と決まったが
 二十余年の日本布教で 英国には身寄りもなく
 オーストラリアのシドニーで戦争終結を待ったが
 日本を恋いつつ果てたと聞く
戦争は惨い

《巷の凡人の雑感》

戦争中には日本に入る外国人(敵国人)、また外国にいる日本人
それぞれ大変な目に会ったようです。

「戦争とはこんなもん」
  で済ますには確かに惨いです。

下のパンフレットは東京市内案内の栞です。
「昭和十五年十月一日自動車に依る東京市内遊覧が休止されて…」とあるので、
太平洋戦争が始まった後のものでしょうか。

サービスの案内文の最後に『スパイ御用心』とあります。
なんだか不気味に感じますが
当時は疑心暗鬼になっていたのでしょうね。




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