真田増丸先生のこと
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大津屋の二階に間借して裁縫して佛教大学(*1)を卒業させて下さったお母さんの元に 意気揚々と帰ってきた増丸先生に お母さんは卒業証書を引き割いて
「大学卒の真実の尊敬を受けるのは この後の働きによるのです」
とさとされたという
私の知った頃は 済世軍というのを興され たった一枚の墨染めの衣にドタ靴 かすれ声で布教していらした
先生臨終の時は トラックの運転手が済世軍本部の前後一丁に筵(ムシロ)を敷きつめ 枕元に響かないようにしたとかきいた
あの頃のトラックの運転手は 蛇かなんぞのように怖れられたもの
よくもああまで布教されたものとおもう
「大学卒の真実の尊敬を受けるのは この後の働きによるのです」
とさとされたという
私の知った頃は 済世軍というのを興され たった一枚の墨染めの衣にドタ靴 かすれ声で布教していらした
先生臨終の時は トラックの運転手が済世軍本部の前後一丁に筵(ムシロ)を敷きつめ 枕元に響かないようにしたとかきいた
あの頃のトラックの運転手は 蛇かなんぞのように怖れられたもの
よくもああまで布教されたものとおもう
(*1) 卒業は佛教大学ではなく東京帝国大学という
真田増丸(さなだ ますまる)明治10年~大正15年
大正4年大日本仏教済世軍を設立。
北九州の八幡に本部を置き労働者層への布教活動をおこなった方です。
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