大阪城落城や刑法のことやら

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大坂城落城(*1)の煽りで亡父は幕末の何年かを伊勢に伊賀に預けられていたらしい

生駒山を越えて大阪城天守閣(*2)の焼け落ちる炎の明りのほの赤さに泣いた話
佐賀家の子と遊んだ話等していた

又伊勢では神都なので生物は殺さなかったらしく 夏には蛇が天井の梁から蚊帳の上にポタリと落ちて来ることもあるそうな

それで蚊帳の裾は丸太で押えて置く
みつきはしないが寝ている間に床にはいって驚く事もあるので 生活の知恵らしい

罪人も断罪は御法度で 死罪の人は断崖から突き落とし 命があれば逐電おかまいなしときく

近頃刑法の改正が問題になっているときき こんな話を思い出した


(*1):慶応4年1月3日(1868年1月27日)
  旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜、大坂城は新政府軍に開け渡された。
(*2):当時は天守閣は無く、御殿や外堀四、五、七番櫓など城内の建造物のほとんどが焼失したとのこと。


《凡人の雑記》

昭和54年もしくは昭和55年頃に書いたもののようですが、当時どのような刑法改正が話題になっていたかはわかりません。

文中の亡父とは私の祖父で文久2年(1862年)生まれなので5歳~6歳の頃のはなしです。
佐賀家、稲葉家は我が家の親戚。

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