お台場の石運び

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「お台場の石運び むこうで飯(ママ)食(ク)うて二十三文」
これは維新の少し前 東京湾品川沖にお台場建設に続いて神戸にもお台場を作ることになり 全国から人夫が集められた時 仕事唄として歌われたそうな

亡母が梅川忠兵(*1)の使い果た(?)四五十両や 芋一貫目二十四幸(文)等と共に歌はれた時代の経済を知る参考になるからと話してくれました

(*1)梅川忠兵:👉梅川忠兵衛


《メモ》

私にはさっぱり『この時代の経済を知る参考』にはなりませんでした(^^ゞ

神戸市兵庫区のページの『和田岬砲台』には
 元治元年(1864年)大阪湾岸防衛のため、勝海舟の設計で完成したもので国の史跡に指定されている。
中央に石堡塔という丸い砲台があり、直径 12.12メートル、高さ10.60メートル、砲門11カ所となっていた。
 当時は「お台場」といわれて、人々に注目されていた。
 大砲はすえられることなく終わった。

と紹介されています。このことみたいですね。


「梅川忠兵衛」を題材とした人形浄瑠璃の演目『冥途の飛脚』(近松門左衛門作)のことも話題にはいっているようですが・・・
 私にはよくわかりません。



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