お話の小父さん巌谷小波先生

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北九州市八幡区(以前の八幡市)の大蔵電停前に日鉄の養成所(*1)という建物がある
此処に大正六年か七年頃 巖谷小波(*2)先生の講演会があって その頃少女の友の愛読者だった私は 首を長くしてその日を待っていた
ところが生憎四五日前から体の調子が狂ってしまい 医師の往診を求める羽目になって当日になった そこで一計を案じて 体具合がよいので通院して来る と嘘を云い医院の前を素通して会場にむかった

母は帰りがおそいと医院に尋ね 来ていない事を知ると心当たりを探し歩いた
大騒ぎになっているとも知らず してやったりと得意満面で帰ったのに一度でペチャンコ どんな話をきいたのか肝腎な事は忘れて 大目玉食ったのだけはっきり憶えている

テレビ放送で お話の小父さん巌谷小波先生を見て

(*1)日鉄の養成所:昭和30年代には八幡製鉄所の大蔵教習所がありました。
        現在はマンションなどが建っているようです。
(*2)巖谷小波:いわや さざなみ 
       1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9 月5日)は、
       明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。
       (Wikipedia 2020/01/03)




《メモ》

「少女の友」と巖谷小波の接点はよくわかりません
もしかして「少女世界」かな?

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