安政元年・ロシアの船が難破して

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ひょんな津波に アイウエオ
ロシヤは頭を  カキクケコ
破船の修理を  サシスセソ
俄に小屋が   タチツテト
二度目の早風は ナニヌネノ
ようよう岸まで ハヒフヘホ
手足は砂に   マミムメモ
舟には綱付け  ヤイユエヨ
とうとう沈んで ラリルレロ
異人はで   ワイウエオ

これは安政元年 ロシアが我が国と和親条約を結ぶ為
下田港に来たプーチャン(*1)使節の乗艦ヂアナ号(*2)が
11月4日の下田地方をおそった地震と津波に大損害をうけたので
 君沢郡戸田村で修理すべく駿河湾に入って
 又暴風にあい さんざんな目に会った時の歌です

でも江川太郎左エ門外の沢山の人が この
事があった為に洋式造船をはじめて学ぶ事が出来て意義深い出来事でした

此頃駿河湾地震がよく報道されているので
昭和51年11月29日
(*1)プーチャン⇒プチャーチン
*2)ヂアナ号⇒ディアナ号



《メモ》
昭和51年(1976年)頃の日記です

この歌はいろは歌の一種?それともざれ歌?
初めてお目にかかりました。

それにしても明治40年生まれの亡母がなぜ知っていたのか・・・
そのころまでこの歌がはやっていたのか
それとも祖母から教わったのか・・・よくわかりません

なお歌の説明にある幕末のことに関しては亡母の記憶している事柄で、事実とは異なるかもしれません
<(_ _)>




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